うつについて

3回目のうつ再発で休職した話

こんにちは。じろ~です。

うつ病ってよく聞きませんか?」「うつが再発した話」で3回目までの傷病休暇に至った経緯を書きましたが、その後現在にいたるまでを今日は書いていきたいと思います。

復職から2か月で休職

3度目の傷病休暇は先回の反省をもとにそれまでより1か月長い4カ月の傷病休暇をとって2月に復職をしました。

今回は異動をさせてもらって復職

2月の復職では「移動を行わなければ復職を許可しない」という産業医の先生の意見もあり、所属していた部署を異動しました。異動したといっても隣の課へ移動したので机の位置としては3mほど移動しただけなのですが、それまでのグループマネージャー(以下GM)から部下のいない主任になったことで最初のうちはずいぶんと気分的には楽になった気がしていました。

古巣へ20年ぶりに戻る

異動した先は20年前に所属していた部署です。配属された係は課全体を統括する係なので、するべき仕事は色々とあるのですが、体が仕事に慣れて体調がととのうまでは決まった仕事を持たず、課内の各係の仕事の中で自力で解決できないような案件について、サポートをすればよいということでその仕事をしていました。

ここも一緒だった・・・。

20年も前とはいえもともと数年前までは生産技術として自動組立機の企画から立ち上げまで担当していたので、与えられたサポートの仕事自体は特に自分にとって難しいような仕事でもなく、最初のうちは順調に「ゆるく」「頑張りすぎずに」仕事をしていました。

でも、ここのGMが「できない人」でした。

「いままでと同じ」「やるのは大変だから」という人

自分は自動車部品メーカーの社員なので、お客さんである自動車メーカーからは毎年コストダウンということで製品単価を定率でカットされていきます。そうなると仕事は会社から与えられたものをこなすだけでなく、毎年コストダウンと昇給分だけは仕事の効率をよくしていかないと最終的に会社が成り立たなくなってしまうのが自動車部品メーカーとしては当たり前です。

当然「なんでこんなムダな仕事をしているんだろう?」とか「こうしたほうがやりやすいのに」という部分は出てくるのでなんとなくGMに聞いてみました。「なんでこのやり方なんですか?」

すると「あなたの言うことはわかるけど、それをやるには労力が結構かかるし大変だからやらなくてもいいよ。だいたい、そんなこと思ったこともなかった。」と平然と言われてびっくりしました。

その日からだんだんGMとは話が合わなくなり、自分もどんどん消耗感が増してくるようになりました。

時間が過ぎても人は変わらない

そのGMは自分がタイ工場へ赴任していた同時期に、アメリカの工場へ赴任していた人でした。タイから見るとアメリカはお客さんだったので、電話やメール、TV会議で何度となく打ち合わせを行ったのですが、そういえば当時から「この人なんでこんなに製品のこと知らないんだ?同じ生産技術なのに」と思っていたことを思い出しました。昔から「ことなかれ主義」で適当な受け答えをしておきながら、問題が起こると発注者側の人間として物言いをする人でした。仕事の経験年数も自分より数年上なのに。

タイとアメリカは地図を見るとわかるのですが、ちょうど地球半周離れています。地球半周を挟んでTV会議中にこの人に対する怒りが爆発してアメリカ側の社長にたしなめられたのを思い出しました。どう考えても知識不足なのに理解をしようとしない相手の態度が悪かったのにです。

「この人と一緒だとダメになる」と直感してすぐに別の部の複数の知り合いにメールを打ちました。「社内就活」を始めたんです。でも遅すぎました。ついにまともに動けなくなって復職2か月目にして再度産業医から休むように意見されて休職となりました。

この休職中に考えたこと

現状の年齢を踏まえて考えた時に会社に残るのと転職どちらが良いかをじっくりと考えました。

⇒今の年齢では再就職は厳しい

⇒転職経験がないので社外に出た時に自分の売りとなる能力があるかどうかわからない

⇒ただ会社にいるだけで得られる給与は転職すると間違いなくもらえない額である。

という点から自分としては会社に定年までしがみつく方向で行こうと決めました。

でもこのままでは「使えない人間にならないと会社にいられない」ので、それを防ぎながら自分も消耗しない働き方を自分から動いて作ることにしたいと考えて「攻めのうつ対策」に進むことにしました。

どんなやり方で今後会社勤めをしていくのかについては次回書きたいと思います。

こんな話をここまで読んでいただける方もなかなかいないと思いますが、読んでいただいた方本当にありがとうございました。