あれとかこれとか

「お経」に関する考察(お経とRAPの共通点)

こんにちは。じろ~です。

自分はよく疑問に思ったことを家族や友人に質問してみたり、意見を聞いてみたりすることがあるのですが、聞かれたほうからすると「なんでそんなこと考えたわけ?」という反応をされることがあります。ということで今回はそんな雑談を書いてみたいと思います。

お経とは

結論:今でいえばRAP!(じろ~さんの解釈。諸説あり。)

自分は普段あまり意識はしていませんが自宅に仏壇もありますし、お寺にお墓もあってお参りするまぁ普通の仏教徒です。

先日、母親の法要がありましてお寺さんへ行ってお坊さんにお経をあげていただきました。子供のころから数えるとお経を聞いた回数は何度聞いたかなんてわからないほどたくさん聞いていますが、何を意味しているのか、どのような内容をお坊さんは唱えているのかについてはあまり考えたことはありませんでした。「足しびれるから早く終わらないかな~」とか思うこともありました。ありますよね。

自分のおススメ「三省堂の新明解国語辞典」によると「きょう【経】:仏の教えを記した書物」とあります。これだけ見ると朗読ってことか?と思いますが、まだちょっと消化不良です。

宗派によって違う

「仏の教えを記した書物」を朗読していると考えると、「仏」と言われて思いつくのは「お釈迦様」なんですがお通夜、お葬式、法事などで他の宗派のお坊さんのお経を聞いていると、いつも自分の聞いているお経と異なることはよくあります。なぜでしょう?「仏教」と言っても色々と宗派があります。ちなみに自分の宗派は「浄土宗」ですが宗派によってなぜ違うんでしょう?

浄土宗:法然上人が開かれた。ご本尊は阿弥陀仏と阿弥陀如来。お経はお釈迦様の説いた「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」をよりどころとする。

例えば

曹洞宗:道元禅師が中国から日本に伝え、瑩山禅師が日本に広められた。ご本尊は釈迦牟尼仏とお二人の禅師。お経はお釈迦様の説法をもとにした「正法眼蔵」「伝光録」「修証義」「般若心経」

どちらもお釈迦様にたどり着くのですが、そこから人々に至るまでの経路が違ったからなのか、お経が異なります。

朗読からRAPへの発想の飛躍

曹洞宗のサイトでさっと読むと「お釈迦様の説法が第一。その後口々に伝えられた」⇒最終的にはまとめた。となっています。伝言ゲームの中でルートにより多少変わっているのかもしれないですね。でもお釈迦様の熱いメッセージを広く伝えたいという思いからお経はできてきたのだと思います。(じろ~の推測)

それまで「朗読会」で読まれていたお経。もし当時の自分がその「お経の朗読会」に参加していたら・・・。ありがたい話ですけど、多分途中で寝てしまいます。ごめんなさい。弟子の人たち。仮に起きていてもなかなか朗読されたものを覚えられなければ、自分の生活に教えを取り入れてより良い生活にするのは難しいものではないかと思います。

そこでお鈴と木魚の登場です。「【詩】をひたすら覚えなさい」はなかなか厳しい課題ですが、これにお鈴と木魚でビートを付けて読み上げるテンポや抑揚を加えたら、意外と覚えられるかもしれません。

パーカッションのビートに載せてテンポよくメッセージを伝える・・・これRAPじゃないですか?意外とそう思いながらお経を聞いていると、木魚はバックビートで打ってたり色々と聞かせどころがあると思います。今まで退屈だったお経。少し興味をもってみたいと思いませんか?自分はちょっと興味わきました。

今日のまとめ

・お経はお釈迦様の教えが出発点

・伝言ゲームで伝わるルートによってピックアップするポイントが違ってきた

 (宗派によってお経が違う)

・「朗読」は眠いが「RAP」は眠くない。覚えられるかも。

・今のRAPPERが歌うRAPが将来のお経になるかもよ

( 可能性はゼロではない?)

お寺のお坊さんに見られたら怒られるようなブログの記事になったとは思いますが、お寺、お経に興味を少しでも持ってご先祖様を供養しましょうという点においてはゆるしてくれるんじゃないかな~と勝手に思っています。

なお、今回の内容はじろ~の個人的な妄想ですので、正しいところはご自分のお寺さんに聞いてみるとよいと思います。きっと丁寧に教えてくれると思います。

では、くだらない話にお付き合いいただき、とってもありがとうございました。